December 30, 2006

タイトル変更

タイトルと内容を少し変えた。前にやろうとしていたことは、もしかすると著作権の侵害とか、何かそういう類の問題に引っかかりかねないとの懸念を、何人かの友達が私に伝えてくれたので。たしかに、そんなことになっては面白くない。

ということで、その本は自分でぼちぼち訳しつつ、そこから得た興味深い情報を、自分のことばで紹介していくにとどめたいと思う。

December 01, 2006

Introduction

「アーユルヴェーダは、何千年もの昔、ヒマラヤのある洞窟に、インドの聖者たちが集い、話し合いを重ねる中で創られていった。そののち、何世紀ものあいだ、聖者から聖者へと伝えられてきた。その中には仏陀にこの知識を伝授した者もあったという。時代が下って紀元1世紀ごろ、Charaka(チャラカ)という医者が、この知識の一部を "Treatise od Charaka" という書物にまとめるまで、この膨大な知識はもっぱら口承で伝え継がれてきたのだ。

彼らは、人間の外界と内界を区別することはしなかったため、魂の苦悶と、その他の諸々の身体的な苦しみを同列に、包括的に扱った。 その苦しみの緩和に心を砕いた。したがって、アーユルヴェーダは、単なる医学以上のものである。それは、人間の生き方全体にかかわることなのであり、その論理は、「人間は他のあらゆる形の生命と相互に依存している」という認識に基づいている。

アーユルヴェーダの創始者たちにとって、人間の究極の目標は、生命体の相互作用を理解することだった。そして、大きな「生命」と自分自身とが、どのようにつながっているかをしっかり認識できる人を、「健康な人」とした。

つづく・・・・・ 」

そのようなアーユルヴェーダの中で取りあげられた様々な植物の、その種類や用法に私は限りない興味を抱く。植物という形をとった生命と、人間という形をとった生命。それらが出会うときにどんな作用をおこすのか。インドで崇拝の対象として、あるいは薬として、香辛料として、化粧品として、そしてもちろん食物として、もしくはそれら全てを兼ねたものとして用いられる植物は、日本でいうと一体何に当たるのか。それらの知識を今に生かすことは出来ないか。貴重な植物をめぐって、人間のどんな冒険や争いが繰り広げられてきたのか。色々と興味が尽きない。