January 28, 2007

体質のこと

ここで少し余談をはさむ。

『ヨーガ医学大要 アーユルヴェーダ インド5000年の英知』というのを、通勤時にパラパラとめくってみている。まだほんの初めの部分なのだが、読んでいて「おおっ、なるほど!」と思うことがあったので、ちょっと紹介する。

アーユルヴェーダの基本に「体質の把握」というのがある。ちょっとヨーガなどをかじった人なら聞いたことがあるかもしれないが、「ヴァータ」・「ピッタ」・「カパ」なる3種の体液とその組み合わせからくる分類法である。

アーユルヴェーダの基本的な考え方は、「大宇宙も、小宇宙たる人体も、この世のすべてのものは、地・水・火・風・空という5元素から造られている」というもの。そして、それら5元素が人体の中で活動するときには、互いに組み合わさって、「ヴァータ」・「ピッタ」・「カパ」という3種類の「体液」になるという。

本では、それぞれの体液(神経液)の働きが紹介されているが、ここでは割愛する。その先が面白い。 「ヴァータ」・「ピッタ」・「カパ」の、どの神経液が優位にあるかによって、人間の体質が3つの型に分類できるというのだ。大まかな内容を紹介すると、

1.ヴァータが優位にある人:
体型はやせ型で、骨格や関節が大きいのが特徴。神経質で、活動過多。不眠に陥りやすい。皮膚は乾燥しており、感覚器官が鋭い。ストレスが胃などの消化器系にきやすいタイプ。

2.ピッタが優位にある人:
体型は筋肉質で堅太り。興奮すると高血圧になりやすい。寝付きがよく、目覚めもよい。若いときに禿げる人も多い。身体が丈夫で、多少無理をしてもわりと平気なタイプ。

3.カパが優位にある人:
体型は肥満型。おっとりとして、慎重なのが特徴。皮膚や呼吸器にアレルギーを起こしやすい。食欲が旺盛で、よく眠る。皮膚がしっとりしている。気質的には冷静な頭脳の持ち主が多い。

まあ、暴力的にまとめてしまうなら、ヴァータ型は「骨」、ピッタ型は「筋肉」、カパ型は「脂肪」が顕著に見られるということか。 あるいは、ピッタ型が男性的、カパ型が女性的、ヴァータ型が中性的というまとめ方もできるかもしれない。

実際には、これら3つの型のうち、どれかとどれかの中間的な性質を持つ人が多いため、3つのうち2つの組み合わせを加えて、合計7つの型ができあがる。つまり、

1.ヴァータ型
2.ピッタ型
3.カパ型
4.ヴァータ・ピッタ型
5.ヴァータ・カパ型
6.ピッタ・カパ型
7.ヴァータ・ピッタ・カパ型(全てのバランスがとれている人)

血液型の分類法(A・B・O)にも少し似ていて興味深い。 私はおそらくヴァータ型だ。両親もおそらくそうだろう。こういう目で見てみると、周りの人たちがそれぞれどの型に近いか分かるような気がする。そして、同じ型に分類される人たちは、ある程度、性格まで共通しているから面白い。これまで色んな人に出会って、人間観察を重ねてきたからこそ実感できることだ。若いときには、まだこんなにはっきりとした認識はなかったように思う。

アーユルヴェーダによれば、体質というものは、基本的に一生変わらないらしい。皮膚の色や性格などのように、それは生まれつきの性質なのだ。だから、まず自分がどの型の体質を持つのかを知ることが最重要で、それによって、食べるものも、生活のしかたも、気をつけるべきことも全て異なってくるという。医者も、患者の体質を見分け、それによって処方を考えなければならない。そこが、東洋医学のいいところだと思う。

西洋医学で私が一番不満に思うのは、人間を一把ひとからげにして扱うことだ。まるで、同じ工場で、同じ部品を使って製造された、同じ型の機械ででもあるかのように理論を組み立てているような気がする。体質が違えば、病気の意味も、それに対する処方も違ってきて当然のはずなのに。もっとも、まず患者の体質を知って、などという時間的余裕が今の医療現場にあるはずもないが。

それに、アーユルヴェーダでは、体格的な特徴と、心理的な特徴をひとつながりのものとして把握するのに対し、西洋医学では、それらを別々のものとして取り扱っているのも不満に思う。例えば、カパ型の人においては、心理状態と皮膚の症状とは、密接に関係していると考えられるし、ヴァータ型の人において、胃の状態と精神状態との間には切っても切れない関係があるだろう。それらを別々の科で診るなど、不効率きわまりないと思う。

アーユルヴェーダ、およびこの体質分類法が万能だとは思わない。もし万能なら、今頃もっと勢力を持っていていいはずだ。やはり悠長で、時代遅れで、即効性に乏しい面があるのだろう。それでも、そこで指摘される多くの事柄には、今こそ再認識されるべき重要な点がたくさんあると思う。もう少し読み進めてみようと思う。

January 21, 2007

黒胡椒

科目:コショウ科
英名:Black Pepper
サンスクリット名:Marica
ヒンディー語名:Kali-mrich

香辛料の中の代表格、コショウである。レストランのテーブルには必ず塩と胡椒がおかれ、西洋料理の仕上げにも必ず塩・胡椒が使われる。胡椒なしでは西洋料理は成り立たないのではないか、というぐらい重宝される香辛料だ。未熟な果実を皮付きのまま乾燥させたものが黒胡椒、熟した果実を乾燥させて皮を除いたものが白胡椒である。

ところが、これが採れるのは、世界でもごく限られた地域。つまり、南インドとその周辺だけなのである。中でも、「ブラック・ゴールド」と呼ばれる最も上等な黒胡椒は、南インドのケララ州マラバール海岸でしか採れない。そのことが、やがて世界の歴史を動かすほどの重大事に発展しようとは、古代インドの人々は想像だにしなかっただろう。

この香り高い黒い粒は、古くからインドの重要な交易品で、古くは食用・薬用としてギリシャ・ローマに輸出された。ヒポクラテスも黒胡椒を処方した。いっときなど、同じ重さの金よりも高価だったそうである。中世ヨーロッパにおいては、食肉の保存と臭み消しは常に切実な問題であったらしい。胡椒、とりわけ殺菌効果の強い黒胡椒は、肉の保存に絶大な効果を発揮することから大変な貴重品とされ、以来、黒胡椒は西洋人たちのインド亜大陸への情熱を猛烈にかきたてることとなる。

ポルトガルの商人が南インドのカリカット(1498年バスコ・ダ・ガマが来航した場所)から、コショウの樹を根こそぎ持ち去ろうとして、地元のインド人が慌てふためいたとき、カリカット王ザモリンは平気でこう言ったそうだ。「持っていきたいなら好きにさせておけ。彼らは、ここのモンスーンまで持っていくことはできない。そして、我々の黒胡椒に特別な芳香を与えるのは、他ならぬこのモンスーンなのだ。」 朝鮮人参などと同じく、その真価は深く「風土」に根ざしたものなのだ。

インドでは、黒胡椒は、たいてい丸のまま米料理や肉料理、ピクルスなどの材料とされる。粉末にしたものは、カレーパウダーのベースとなる「ミックス・スパイス」の主成分となる。一粒の黒胡椒を紅茶に入れたり、2~3粒をトローチとしてなめたりもするそうだ。 

アーユルヴェーダでは、黒胡椒は胃に優しいとみなされ、風邪・咳・鼻水や気管支炎などを緩和するために処方される。また、虫下しや、便秘薬としても用いられる。 さらに、黒胡椒は古来、コレラに対する伝統的な複合薬の成分でもあり、ベンガル地方では、次のようなやり方で、アーユルヴェーダの医者たちが、コレラに対する錠剤を調合したそうだ。

「黒胡椒、阿魏(Hing と呼ばれるセリ科の植物の樹脂)、とアヘンを各20g用意する。それらを全部一緒にしてすりつぶし、12個の錠剤を作る。1時間から2時間に1錠、あるいは発作が始まったときに1錠、服用する。ただし、アヘンが含まれているため、長期間の服用は避ける。」

Hing のことはまた追って書くと思うが、これは知る人ぞ知るかなり特殊な食材である。この Hing と黒胡椒、それにアヘン! 殺菌・鎮痛・鎮痙などの薬なのだろう。コレラ菌に対しても効果を発揮するなどと聞くと、ますます頼もしく思えてしまう。

いつか食べてみたいスープに、「胡椒スープ」というのがある。インド人から話で聞いただけだが、南インドの代表的なスープで、メインの材料が胡椒という、いかにも辛そうなスープだ。タマリンド(これも後述するつもり)と、ライム汁のたっぷり入った酸っぱくて辛いスープ。美味しそう。いつか南インドに行ったら是非試してみたいと思っている。

January 04, 2007

インド麻(大麻)

科目:アサ科
英名:Indian Hemp
サンスクリット名:Vijaya
ヒンディー語名:Bhang


「神聖な植物」として分類されている。

これを乾燥させたものは「マリファナ」として知られる。インドに行く人の中には、これを入手することを目的にする人もいるというぐらい有名なこの植物は、陶酔成分を含んでおり、ハシシュ(ハシーシ)、あるいはガンジャと呼ばれて、インドを放浪するヒッピー(この言葉、今ではもう死語かな?)たちとよく結びつけられた。日本ではもちろん禁じられている。危ないものというのは好奇心をそそるものでもあのか、ウィキペディアの「大麻」の項にも、かなり詳しい説明が載っていて、読んでみると、なかなか興味深いことも書いてある。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E9%BA%BB&oldid=9588359

インドでは(古くは日本でも)、この植物は「神聖な植物」とされ、神事に使用されてきたそうだ。私がインド人から聞いたこの植物の使い方で面白いと思ったのは、「ホーリー」として知られるインドの春祭の際の特別な飲み物、bhang(大麻ドリンク?)だ。大麻の葉っぱの部分、ごく弱い陶酔作用しか持たない部分を粉に挽き、甘いミルク飲料に混ぜて作るらしい。それを飲んで、春の収穫祭を楽しむのだそうだ。そのあたりのことが書いてある箇所を引用する。

のちに、'bhang' として知られるようになる「大麻ドリンク」は、放浪の苦行者としてのシヴァ神が唯一嗜むことを許された飲み物とされる。実際、今でも、この陶酔状態にあるシヴァ神は、人々から愛情を込めて'Bhangeri Baba'(大麻ドリンクで陽気になったお父さん)と呼ばれている。

中世において、大麻ドリンクは寺院に導入され、宗教的エクスタシーに達するための儀礼的な飲み物として、祭儀の参加者にふるまわれた。

また、儀式用甘味飲料として、宮廷の楽しみにも取り入れられた。大麻の葉を非常に細かい粉に挽き、6重に重ねたモスリンの布でふるいにかける。それを濃縮したミルクに混ぜ、砕いたアーモンド、蓮の実、黒胡椒、香草、それに糖蜜などで味を整えた。

大麻ドリンクはまた、「ホーリー祭」として知られる盛大な春の祭り、冬の収穫期につづく喜びに満ちた季節、秩序も身分も全て取り払われ、堂々とはめをはずして無礼講を楽しむこの歓喜の祭りの際にも、広く一般の人々に用いられた。


このbhangという飲み物、作り方を聞くと、いかにも美味しそうで、飲みたくなってしまう。でも、インドに行ったとき、ハシシュやガンジャはもちろん、このbhang さえ試さずじまいだった。アルコールにも弱く、タバコも吸ったことがなく、薬もめったに飲まない私の身体は、薬物に対して極度に敏感で、一度、インドの村で「噛みタバコ」をひとつまみ口に入れただけで、空がぐるぐる回ってしまった。そんな人が陶酔作用を持つ植物など摂取したら、きっと大変なことになる。それに、私は「陶酔」という状態全般に対して一種の恐怖を覚える。だから、試してみるのは、きっと死ぬときだ。

ちなみに、古代インドのアーユルヴェーダでは、大麻は偏頭痛や胃けいれんの緩和に使われたそうだ。今日でも、偏頭痛や神経痛に対する薬効が認められているらしい。

「危ないもの」というのは、うまくつき合えば薬になる。これは色んなことに言えると思う。そこらへんが面白いなあと思うのだが、やっぱりこの考え方は危ないのだろうか。